恋雨アニメ11話考察感想メモ/あきらは「毒」を飲むのか?

と、いう訳で、「恋は雨上がりのように」11話「叢雨」を見た訳ですが。

12話への助走という印象の強い回でしたが、いくつか注目したいポイントも出てきましたね。
適当にメモしておきたいと思います。

余りの時間のほぼすべてをアルバイトに。そう決めた顔はとても楽しげ。だけどとても危うく。

それぞれの友人が

アニメ11話の基本的な構造は、

  • 本編8巻58話のはるかによる呼びかけ(「戻っておいでよ」)
  • 本編7巻49話の辺りの近藤とちひろの会話(正直さと執着)
  • そして本編6巻48話のスケジュール決め(「他にやりたいことなんて」)

この三つを軸に、他の周辺エピソードを適当に組み入れて一つの話にしている、という構成になっていました。
こう並べると、時系列からしてかなり原作から大幅に組み替えられている(というか順序全部逆ですね)、ということが見えてくるかと思います。

そんななかで、独自色が強くなっていたのが、近藤とちひろの会話でした。

たった一人に毒を

ちひろの悩みの方向も原作と違っていたり(というかかなりキャラが違ってきている)、一分小説とかの独自要素も色々入ってはいたのですが、やはりポイントは近藤のこのアニメオリジナルのセリフとなるかと思います。

書くことだけは夢や憧れに正直でありたい。
たった一行でいい。猛毒を落としたい。
たった一人、その一人の心を毒で犯したい。

そもそも、「文学は毒」というのは、原作ではちひろの主張であり、近藤の主張ではありませんでした。
近藤にとっての文学は「人を救うもの」であり、逆に言えば、それ以上の言及は無かった。

ところが、アニメオリジナル描写として、近藤が「毒で犯したい」と言っている。この近藤のセリフは、当然あきらを意識してのものでしょうから、近藤は、あきらを救うツールとしての毒、その毒としての文学、といった想いを述べていることになります。

そして、その後、一人、実際に小説を書き始める描写が入っている。前作、あきらから「いつか店長の書いた小説を読みたい」というエールを貰った近藤ですが、原作とは異なり、明確に「あきらを救う」という意図を込めて小説を書く、書き上げる、などということもあるのかもしれません。

そういう意味で、前回の考察で、あきらは、既にもう一人のあきらになっている、といったことを書きましたが、近藤もまた、既にもう一人の近藤になっている、ということでもあろうかと思います。

それにしても、近藤が、あきらを「毒で犯したい」と言った、書きますと、なんというか、色々とエロくなりますね。

自ら雨に

「他にやりたいことなんて、ありません。」

近藤の提案を明確に拒絶するあきら。この辺りは、基本的なシチュエーションとしては原作とほぼ同じ、といった感じなのですが、その後、ちょっと興味深いシーンがありました。

雨の中、自棄的に歩くあきら。そして彼女は傘を閉じ、自ら雨に打たれる。

この行動、アニメ独自なのですよね。
原作で、あきらが雨に打たれるというのは、

  • 哀しみのなか、そもそも傘を差そうともしない(持っていないのかも知れないが)
  • 傘を忘れて、雨に打たれる(そして近藤に助けられる)

基本的にはこの2パターンかな、と思います。

そういう意味で、「傘を下ろして」自ら体を晒す、というのは初めての、アニメ独自のパターンかと思います。本来はあきらにとっては「避けるもの」「避けたいもの」である雨に対して、敢えてそのような行動をとる、というのはそれなりにインパクトのあることでもあるかな、とも。

アニメOP「ノスタルジックレインフォール」には、「傘は要らない」なんて部分もあるわけですが、うん、これは違いますね。

とかく、自棄的な気分の表現として、なんというか、印象深いな、と。

「それから」

前回10話では、結構意味深なかたちで「それから」が出てきました。

その辺りについては以前もちょっと色々と書きましたね。

そして、今回も、何度か「それから」が登場しました。

あきらは、「それから」を読み続けている。また、そこには、「燕の栞」が。ピストル音で栞の紐がかすかに揺れるのは、そういった燕の動き(もしくは蠢き?)、といった意味合いも込めてのことなのでしょう。

尚、近藤も夜半、手元の「それから」を意味ありげに眺めて、少し物思いに耽っています。

「それから」と燕の栞の関係等については、この間の記事で少しだけ細かく触れましたので、ご興味のあるかたは御覧頂きたいのですが、

「友人として」 実にこう、恋する少女モードの「友人」…。 「お前のような惚れ顔の『友人』が居るか!」とかいう某拳士の言葉が聞...

とかく、気になるのは、いわゆる「雰囲気アイテム」以上の意味合いをアニメ本編に持たせるつもりなのかなぁ、という辺りで。
本気で入れてくるのなら面白いなぁ、とは思うのですが、あと一話しかないのですよね…。

そして、最終回は?

という辺りな訳ですが。
公式の次回予告では、こんな文章があります。

あきらは近藤を想い、近藤はあきらを思う。 二人の視線が交わった時、17歳と45歳がたどり着いた明日にあるものは・・・

やはり気になったのがここで。
この漢字をわざと変えているのは、アニメでは、近藤のあきらへの視線は、そういうもの、ということになってしまうのでしょうか。

正直11話自体で、恋愛要素っぽい部分が皆無だったのは少し寂しくはあったのですよね。
でもって、あと1話しかないとなると、そこ辺り、どうなるかなぁ、と。

近藤の「気づき」は描かれるのか

原作だと、7巻56話にて、重要な近藤の気づき、

「俺は、橘さんのことが 好きなんだ…」

があります。この頃から近藤はあきらへの「恋わずらい」について悩みはじめます。

あきらのことを目で追ってしまったり。

さらには、夢枕にまで寝具姿のあきらが現れて、誘惑してきたり、と。

それ故に、逆にいけないこと、とあきらとの距離を取ろうとしてしまって、あきらを怒らせてしまったり、などと色々あったり。

「新しいデータ」に関してあきらに迫られたりするのもこの辺りですね。

もうすぐ最終回……、という訳で 恋雨面白いなぁ……。 来週には完結なんだよな、と思いつつ、せっかく久々にブログ更新をするので、ついでに最近...

上の記事で少し書いています。

もしもこの辺りに触れられるのなら、本当は11話でやって欲しかったところではあります。「好きなんだ…」の寂しげな、哀切に満ちた気づきは、ぜひとも映像シーンで見たくはあります。いや、ありました、と言うべきでしょうか。次回予告が「思う」である以上、その辺りは丸ごとスルー説も結構強いかなぁ、などと。もちろんまだ分かりませんけど…。というか本当は見たいですけど…。

まぁ一番大事なのはエンディングではあるのですが。

あきらと「陸上」との距離?

あと、正直、ただのアニメ演出の都合とも思えるので、あまり気にする部分ではないかと思うのですが。

ちょっと気になるのが、だいぶ前の話になりますが、ここの描写の原作とアニメの違いです。

「坊っちゃん」と、陸上写真集を借りたあきら。アニメでは、(やる気の無い態度で、ですが)坊っちゃんを読む一方、結果的に陸上写真集を足蹴にしてしまっています。

ところがここ、原作だと、

むしろ、坊っちゃんではなく、写真集を選んでいる、のですね。

アニメが演出として距離をさらに大きくした、程度の意味なのか、それとも、もうちょっと深い意味を入れているのか。

あきらは「毒」を飲むのか?

さて、先ほどもちょっと触れた通り、「それから」がどうにも強調される雰囲気がある訳ですが、その「それから」にこんな一節があります。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/56143_50921.html

 代助は振り向きもせず、書斎へ戻った。敷居をまたいで、中へ這入るやいなや三千代の顔を見ると、三千代は先刻代助の置いて行った洋盃を膝の上に両手で持っていた。その洋盃の中には、代助が庭へ空けたと同じ位に水が這入っていた。代助は湯呑を持ったまま、茫然ぼうぜんとして、三千代の前に立った。
「どうしたんです」と聞いた。三千代はいつもの通り落ち付いた調子で、
難有ありがとう。もう沢山。今あれを飲んだの。あんまり奇麗だったから」と答えて、鈴蘭の漬けてある鉢を顧みた。代助はこの大鉢の中に水を八分目程張って置いた。妻楊枝つまようじ位な細い茎の薄青い色が、水の中にそろっている間から、陶器やきものの模様がほのかに浮いて見えた。
何故なぜあんなものを飲んだんですか」と代助はあきれて聞いた。
「だって毒じゃないでしょう」と三千代は手に持った洋盃を代助の前へ出して、透かして見せた。
「毒でないったって、もし二日も三日もった水だったらどうするんです」
「いえ、先刻さっき来た時、あの傍まで顔を持って行っていでみたの。その時、たった今その鉢へ水を入れて、おけから移したばかりだって、あの方が云ったんですもの。大丈夫だわ。好いにおいね」

三千代は、「鈴蘭の漬けてある鉢」の水を飲んでしまう。

三千代は、「だって毒じゃないでしょう」と言う訳ですが、この鈴蘭の活けた水が毒じゃないか、という話がちらほらとある訳です。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000116015

10. 『図解でよくわかる毒のきほん 毒の科学から,猛毒生物,毒物劇物の取扱方法まで』五十君靜信/監修 誠文堂新光社 2015年 p.46「スズランを活けた水を飲んでも中毒を起こすことがあり,これらを誤飲して死亡した例もある。」との記載あり。
参考文献に「佐藤正幸・姉帯正樹『有害植物スズラン調理品中のコンバラトキシン残留量』道衛研所報,2012」

あきらは「毒」を飲むのか。近藤が用意した「毒」を、「望んで」飲むのか。
そして、その「毒」は、将来的に二人を結ぶ希望を残すものなのか。

とかくその辺りにも注目しつつ、次回を楽しみにしたいと思います。

追記:後から気づいたことなのですが、前回の記事で言及した「ラッパチーニの娘」、あれも簡単に言うと「毒とともにある娘」がヒロインの話だったりします。どこまでも毒、なのですね……。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000905/files/4105_13937.html

この美しい女は、生まれ落ちるときから毒薬で育てられて来たのだ。そこで、彼女の本質には毒が沁み込んで、そのからだは最もはなはだしい有毒物となった。つまり、毒薬が彼女の生命の要素になってしまったのだ。その毒素の匂いを彼女は空中に吹き出すのであるから、彼女の愛は毒薬であった――彼女の抱擁は死であった。まあこういうことだが、なんと君、実に不思議なおどろくべき物語ではないか」

あるいは、あきらもまた、近藤の手によって、「毒薬で育てられる」ということになるのでしょうか……?

とかく、12話が気になるところとなりました。

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