前回記事を踏まえての疑問点など
恋雨面白いなぁ…(二回目)。という訳で、前回最終回予想関連の記事を書いた訳ですが、いくつかの補足や、その他、ちょっと確認しておきたい恋雨81話の疑問点等について書いておきたいと思います。
最終話を読む準備というか何というか。
という訳で、もし前回記事未読の方がいらっしゃいましたら、よろしければそちらも参考に眺めて頂けますと幸いです。
81話の疑問/「勇気」の意味
そもそも81話、色々と謎の多い回でした。
- 近藤は何を言ったのか?
- あきらの笑顔の意味は?
といった辺りはまぁ普通に次回への宿題になってる訳ですが、他にも、
- 80話の「走りたい…!」から、81話の間には何があったのか?
- 夜になっている。
- 1ページ目、あきらの目元が赤い。かなりの時間泣きはらした?
- もちろん、特に意味はない(ただ時間が普通に経過しただけの)可能性もあるが…。
- 「手品」の回想をわざわざ数ページに分けて詳細に描写した意味は?
- 「デジャブ」の「真実」を示す為?
- 近藤ははじめからあきらに(ある意味)惚れていた?(でも忘れた?)
- 「デジャブ」の会話が微妙にかみ合っていないのは何故か?
- 41話(2回目の手品)のやりとりで、店長は「橘さんがブラックを飲めないこと、もう忘れないよ。」と言っている。
- 店長はこの時点で、あきらがブラックを飲めなくて戸惑ったこと(=最初の手品)を思い出している。
- それをあきらも認識している。
- →「お見舞いでの喫茶の時点で思い出さなかったじゃないですか」という程度のことで、深い意味はない?
- (読みすぎ曲解レベル)そもそも「デジャブのこと(を)忘れてたじゃないですか!」と読むと、「デジャブを感じたこと」があり、それを「忘れてた」ことになる。お見舞いの時の話ではない?
- 「文学を捨てる勇気」/「捨てなかった勇気」
- この二つのセリフ、よく見ると、いわば「対義関係」になっていない。
- (考えすぎレベル)店長が「げ」と叫び、あきらが驚くシーンには、何かのメタファーが含まれているのか?
- (さらに考え過ぎレベル)まさか、渋滞の進み具合にもメタファーはあるのか?
- 近藤は、何をもって「橘さんのそういうところ」と言ったのか?
……と、まぁ、考えすぎればいくらでも考えられるというか、そういう回にも見える訳です。
近藤の「げ」とかは、本来は静かに雰囲気出して会話を続けても良さそうなところで、そんなアクセントを入れて、でも、その後会話を戻すのだなぁ、とか、色々考えてしまう訳です。
また、近藤が言った言葉で、あきらは何か大きな衝撃を受け、その結果あの笑顔になった、ということは読み取れる訳ですが、
- 近藤の「言ったこと」に対して、あきらは何を考えたのか?
という部分も実は結構謎になっているかな、と。失意なのか、「なにくそ」なのか、もしくはそれ以外の何かの決意なのか。
で、その中で気になるのがやはり、「文学を捨てる勇気」/「捨てなかった勇気」なのですね。上にも書いたように、「対義関係」になっていない。何かこう、意識のズレを感じさせるもの? というか。
「文学を捨てる勇気」/「捨てなかった勇気」
近藤「勇気か…」「結局俺には勇気がなかったんだな。文学を捨てる、勇気が…」
あきら「(思案してから)捨てなかった勇気、じゃないんですか?」
近藤「(間を置いて)橘さんのそういうところ、僕は好きだよ。」
一応、何となく流れに乗るような形で読んでいくと、
- 近藤「文学を捨てる、勇気が…」
- 捨てる=完全に文学をやめること?
- さらには、捨てる=あきらを受け入れること? 文学と両立しないと考えている?
- あきらを大切にするためには文学を捨てることが必須?
- あきら「捨てなかった勇気、じゃないんですか?」
- 近藤が、「文学を捨てず書き続けたこと」を、近藤が勇気の無かったことと言っていると理解(もしくは誤解?)して、それが勇気なのではないか、と指摘している?
- 結果的に自分に手を出さなかったことを勇気と評価したことになる?
- 近藤「そういうところ、僕は好きだよ」
- 近藤は、あきらの理解or誤解と、そのとらえ方に基づく前向きな考え方を評価して、好きと言っている。
となるのでしょうか。「捨てなかった勇気」を補完すると、「(今まで文学を)捨てなかった勇気、じゃないんですか?」となるのかな、と。
ただ、それでもちょっとひっかかりは、ひっかかるのですよね。
わざわざ、「捨てなかった勇気」には傍点まで打ってある訳で。
「捨てなかった『ことが』勇気じゃないんですか?」とかならしっくりくるのですが、「捨てなかった勇気」。
また、「文学を捨てる勇気」も、正直話の流れ的には、近藤は、あきらを受け入れなかったことを自嘲しているようにも取ってしまうのですが、だとすると、「盗人になる勇気がなかった」といった言い方をしている気がします。
となると、やはりそういう意味ではないのか?(そもそもあきら受け入れを意識しての発言ではないのか?)
とかく色々としっくりこない、というか。
また、ここを考察するのなら、かつて、近藤とあきらが羅生門について語り合ったシーンにも当然話が絡んできます。
「同じように盗人になりますか?」
「同じように盗人になりますか?」
結局、店長はこの問いに対して、
「俺は… たぶん盗人にはならない…… なれない、かな」
と答えた訳ですが、その答えを繰り返すことしかできなかったんだ、と81話で自嘲的に語った、とみることも出来ます。
そして、もしも近藤がこの時のことを思い起こしているのだとしたら、近藤はこの時点から、この81話の時点に至るまでの間ずっと、見解として、文学をきっぱりやめることこそ勇気、と考え続けていたことになる。
となると、今小説を書いている近藤は、内心では、いまだに、羅生門で動けずにいる下人のままなのですよね。
微妙にひっかかりを感じる部分ではあります。
今後、「悪から善へ」の大転換がある?
仮にあきらが陸上に戻ったとすれば、それは勇気を出しての行動、となります。
一方、近藤は、自分の行動を勇気の行動とは思っていない。(あきらはそう評価しているとしても)
つまり、なんというか…、最終話に向けて、何か、意識の転換、みたいなものはあるのかな、と。
また、先ほど引用したコマの直前ですが、こんなセリフがあります。
「生きるためには”善”となったのかな?」
これ、結構ポイントになりそうというか、最終話で、近藤にとって「悪が善となる」大転換ともいえる大事件(?)の発生を示唆しているのかな、と考えたりしています。
近藤は「それにこんな生きるか死ぬかみたいな究極の二択は人生にそうない…」とも言っていますが、まさにそういう判断が迫られる(そして判断の結果大転換が起こる)フラグなのかな、と。
もちろん、この一連の正月の話で、あきらを受け入れなかったことを指して「究極の二択」の選択とみることも出来なくはないかと思いますが、(今のところ)それで悪から善への大転換が起こった描写は無いので、ひょっとしたらこれから何かが、とも思ったりするわけです。
つまり、最終話は、このまま、小説を書き続けて、また、あきらとの関係についても何か話があって…、といった(ある意味平穏な)感じのものではなく、その過程で、近藤にとっての「小説を書くこと」のとらえ方を大転換させる(もしくは(あるいは、プラスで)あきらを受け入れることについての認識を大転換させる?)、大事件的な(そして決断を迫られる)何かがあるのかもしれないな、と。
(もちろん、あえて「盗人にならない」決断をもって意思表示をする、という方向もあるかもですが。)
そんなことも思ったりしたのでした。
とかく、もうすぐ次号ですね。
せっかくなのでもう一回ぐらい最終巻予想がらみの話を書こうかと考えています。
いくつか書き残したな、とも思っているネタもあるので。
といってる内に…、という感じですが。
次回26ページセンターカラーだそうですね。ふぅむ。
とかく、そんな感じで楽しみつつ来週の発売日を待ちたいな、と思います。
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