「恋は雨上がりのように」考察メモ/二人の「成功」/傘の行方

もうすぐ最終回ですね、ということでここ2回ぐらい連続で記事を書いていた訳ですが、

もうすぐ最終回……、という訳で 恋雨面白いなぁ……。 来週には完結なんだよな、と思いつつ、せっかく久々にブログ更新をするので、ついでに最近...
前回記事を踏まえての疑問点など 恋雨面白いなぁ…(二回目)。という訳で、前回最終回予想関連の記事を書いた訳ですが、いくつかの補足や、その他...

いくつか書き残したな、ということもあったので、今のうちに書いておこうかな、などと。
そろそろフライング入手している人も居るかも知れないこのタイミングで記事を書いて意味があるんだろうか的な見方もある気もするのですが、まぁ自分なりに気になるところをまとめておく、というか。最終回見ちゃった後だと書けないネタだろうし、と。
そういえば今日の回のアニメ、古本市回ということで色々とポイントになるかもですね。結構過去を強く抉ったりするのだろうか。
後でじっくり見たいと思っています。

そもそも、二人のそれぞれの目標/成功とは

という訳で色々と書いていく訳なのですが。とかく、最近の流れとして、あきらも、店長も、それぞれ陸上と小説という二人のそれぞれの目標とするものであろうとする方向に向かっている訳なのですが、ちょっと思うこととして、実は二人とも、実際のところそれで(世間的な)「成功」を得ることはできるのかな? というのがあったりします。

以前の考察で、あきらについて、6月のインターハイで敗北があるのかも、的な事を書いたかと思います。1月からリハビリを開始して、三年の大会シーズンにギリギリ間に合う程度。そもそも、フルパフォーマンスを得ることができるかどうかは分からない。
高校最後の戦い、そこでみずきに勝てるかどうかは分からないし、大学以降もどうなるかは、また。もちろん順当に成長していく、という方がありそうには見えるのですが。

というのも、あきらは、「勝つ」ことにはそこまで貪欲さを感じないのですよね。

あきらの走る意味

53話の、はるかの回想に出てくる、昔のあきら。

この「快感」こそが、最もあきらを陸上に駆り立てているものなのでしょうから。
そして、はるかは、このあきらを知っているからこそ、「好きってだけじゃ、ダメなの?」という問いを発することにも繋がっていく。
勝ち負けではなく、恐怖を克服して、再び陸上のフィールドに身を投じる。それも、全力で。全力を出すことができる。それだけで、あきらの「求めるもの」は、ある程度達成されてしまう気もするのです。

で、このような見方は近藤の方にもありまして。
近藤の今執筆してる小説、それが、世間的なインパクトをもたらすものとなるかどうかは次号を見ないと判明しないことですが、なんというか、「あまり受けない」という展開も普通にありえるかな、とも。

というのも、あきらを陸上に駆り立てているのが「勝利」ではないと思われるのと同様に、近藤を文学に駆り立てているものも、そのような世間的成功とは少し違うようにも思えるのです。

人を救う文学

近藤の文学への想い。それは、「人を救う」ということ。

かつて文学に打ち込み、結果家庭の破綻をもたらした近藤のその願いの本質は、今も変わっていません。
(人を救うことを願う近藤が、そもそも当時一番身近だった家庭を救えなかった、というのは皮肉以外の何物でも無い訳ですが。)

近藤が、ちひろの作品の映画化が決まった時に、称賛として述べた言葉。

近藤にとって、文学が多くの人を救うのであるのなら、それはそれだけ、素晴らしいもの、なのです。
この時、近藤が本気で、かなりはしゃぎ気味に、我が事のように喜んでいるのに、肝心のちひろが、
「大体 文学ってのは人を救うためのモンじゃねーんだよ!」
と反発しているのがこれまた一種の皮肉でもあります。

「毒」を書きたいと思っているちひろは作品で人を救ってしまい、一方人を救うことを願う近藤は、いまだ文学で誰も救えずにいる。

そんな哀しくも滑稽な情景。

それどころか、近藤はそもそも「売れる」ことに興味が無いようにも見えます。49話で、町田すいの新作についての近藤とちひろのやりとり。

作品が流行となり、世間に受ける、そのことが理解出来ないことへのあせりを感じるちひろに、「わからないと 何かマズイのか?」と真顔で返す。業界だけでなく世間も評価してる、と聞かされても「あ… そう」だけで終わってしまう。

ちひろが言うように、近藤は正直なのでしょう。文学で人を救いたい。だけど、売れるかどうかは、どうでもいい。

ある意味、あきらのような、ストレートさを感じます。

……となると、近藤のまず目指す到達点は、文壇での成功といったものではなく、原始的に、とにかく、「人を救う」ことなのでしょう。

それも、おそらく、とにかく誰か一人でも救われれば、まず近藤の目的は達成される。

つまり……、近藤の今書いている小説は、ただ、あきら一人を救う。そのことをもって、まずは目的の達成となる。その後、その作品が売れるのか、多くの人に届くのかどうかはまた別の話。そんなこともあり得るかな、とも思うのです。(もちろん、多くの人を救えば、それはそれで近藤にとって至上の喜びなのでしょうが。)

とかく、そんな訳で、最終話(もしくはそのさき)にて、そんな、二人それぞれが得るものは、控えめな「成功」(ただし本人達にとっては至上の成功)となるのかも知れまいな、などと思ったりした訳です。そしてそれが、二人の人生の再びの重なりともなるのかも、と。

そんなことを思ったのでした。

傘の行方

さて、上の話とは少し方向性が異なるのですが。最終話がどうなるか、ということを考えるにあたって、個人的に気になってるのが、42話。41話で店長からあきらに差し出された傘を、あきらは返却します。
返却しなくても良かったのに、という店長に対して、あきらは言います。

実は、このコマの直前、あきらはこんな表情をして「迷って」います。

この傘は、雨の中で店長があきらを救った傘でした。そういう、思い入れのある傘な訳です。だから頬も赤らめている。おそらく手元に置いておきたいだろう。
でも、決意して返却する。また、その傘が誰かを救えるように。

あきらの発現の直後、近藤が一瞬戸惑い、その後少し寂し気に笑ったのは、あるいは、自身の「人を救う」想いにすこしかぶせてのものだったのかも、とも思うのです。

そしてこの傘、直後のコマ、そして数ページ後、と二回に渡って表示されます。

ここに、ちょっとした何かの意図を感じてしまったりもするのです。

81話にて、近藤はあきらに傘を託しました。

最終話(もしくはその先)にて、そんな、傘がもう一度必要となる瞬間、みたいなのがあるのかも、とも。

といっても、シチュエーション的にあきらが傘を近藤に差し出す、ってのは考えずらくもある気もしますが…、でも、そんなシーンがあるのかも、などとも思ったのでした。

とかくもうすぐ最終回ですね! 楽しみに発売日を待ちたいと思います。
そんな考察記事なのでした。

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